レッスン風景

湊川神社教室


レッスン風景5

8月になりました。厳しい暑さや激しい雨の日も、先生方は和服姿でお迎えくださいます。この暑さの中、身体を覆う衣服を着ることを考えただけでも気が遠くなりそうな私とは違い、先生方はさすがだなぁと思いました。  今月は「花月」のお稽古が印象的でした。ゲーム要素もあり、ドキドキわくわくの時間。順番に折据(おりすえ)から札を取り、お点前をする「花」、お正客の「月」、「一」、「二」、「三」を決めます。お菓子を別室でいただいてから始めるのも初めての体験でした。

 花月で特に難しさを感じたのは足さばきでした。なにがなんだかわからないながらも、なんとかなったのは先生方の根気強いご指導のおかげでした。面白かったのは、折据を置く場所や札を置く場所が決まっていたことでした。畳の目が目盛りの役割をしていることに新鮮な驚きを感じました。たしかに、このように各々が並べると全体的に整然と美しい配置がなされます。それは必ずしもゲーム進行にとっては肝要な部分ではありません。ですから、そのような細部にも気を配る先人達の美学を感じることができたように思いました。  遊び要素の強い印象の花月でしたが、私にとっては茶道の中に息づく、調和の美学を垣間見たような稀有な学びとなりました。皆の笑い声が響いていたのも印象的な、楽しい8月のお稽古でした。

 お軸は「日日是好日」。どんな日でも毎日は新鮮で最高にいい日、という意味だそうです。お花も、まるで妖精さんのお部屋のような「ホタルブクロ」が可愛くてほっこりしました。お菓子も涼しげです。


レッスン風景4

7月に入りました。7月といえば、七夕祭りです。七夕祭りに欠かせないのは、なんと申しましても願い事を書く短冊ですが、それについて、先生から興味深いお話を教えていただきました。
 現代の我々は、短冊と聞くと、色とりどりの色紙(折り紙)を想像しますが、昔は梶の葉だったそうです。今でも由緒正しい名家では、伝統的な梶の葉の七夕飾りをなさっているのだとか。また梶の葉には抗菌作用もあるのだそうで、お茶席ではガラスのお菓子鉢に梶の葉を敷いて、その上にお菓子を置くことも素敵な趣向になるとのこと。お客様に季節と伝統の両方を感じていただける、粋な計らいだなと感動しました。

 今月印象的だったのは、この梶の葉で、この季節ならではの「葉蓋点前」のお稽古をさせていただいたことでした。水指の蓋に葉を使うこのお点前は、梶の葉以外にも、蓮の葉など、毒がない安全な葉を使うこともできると聞き、茶道の柔軟性を感じました。葉を折り畳む感触も楽しく、素晴らしい経験になりました。
 引き続き、8月のお稽古も楽しみです。

 お軸は「白雲流水清(はくうんりゅうすいきよし)」。白雲も流水も共に無心であり、一切の蹤跡を残さない清々しさがある、という意味だそうです。
 お菓子の浜千鳥もかわいいです。


レッスン風景3

 6月に入りましたが、お稽古の日は雨天にならず、湊川神社の木々も悠々と空に腕を広げています。私達も和気藹々と、しかし真剣に、運び薄茶点前のお稽古に励んでおります。まだ柄杓の扱いは難しく感じることもありますが、先生方の根気強いご指導の中、のびのびとお稽古に臨めています。

 私が特に楽しみを覚えたのは、お棗とお茶杓の拝見についてです。お道具にも様々あり、その見所などを教わりました。お茶席では亭主がどのようなお心遣いで、それらのお道具を今日この日のために選んでくださったのかを垣間見られる正客との問答が、興味深いと思いました。正客が棗のお形、お塗り、お茶杓のお作、ご銘を尋ね、亭主がそれに対して中棗であるとか、宗哲の鶴蒔絵であるなど答えます。そして最後に正客から亭主の気配りに対してお礼を述べます。
 短い問答ですが、これだけのやりとりの中に、たくさんの新しい学びがありました。茶道が日本の四季の美しさと共にあること、お家元と共に茶道の発展を支え続けておられる千家十職のこと等を先生から教えていただきました。

 また、初心者の私にとっては耳慣れない言葉でも、先生方にとっては日常の季語である言葉の数々にも感銘を受けました。私が特におもしろいと思ったのは「濡れ燕」です。平安時代に和歌などに使われた雅語であり、俳句では春の季語だそうです。燕の子育てはちょうど今頃。梅雨の雨に打たれながらも、雛に餌を与えるために飛ぶ燕の羽の美しさはもちろんのこと、その健気で懸命な親燕の姿にも古の貴人達は心打たれたことでしょう。そのように愛されてきた「濡れ燕」という雅語は、現在、夏の涼やかなお菓子の御銘として身近に息づいている……。お茶を通して古の貴人や俳人、動植物などの自然に想いを馳せることで、心も一層豊かになるように感じられます。

 お軸は、「無一物」。禅語で、「ものごとは本質的には、空(くう)であるから、執着すべきものは何一つない」という意味だそうです。お花が蛇の目傘を模した花入れに生けられているのも大変可愛いく目を楽しませていただきました。
 スペシャル・サプライズは先生の手作りお菓子!手前の青いお菓子です。涼しげで、清流に浮き行く青紅葉を思わせます。頂いてしまうのが勿体ないような気持ちになる、美しいお菓子でした。先生方の熱意や思いやり、素敵な同期の皆様と一緒に、来月のお稽古も楽しみながら頑張っていこうと思います。


レッスン風景2

 5月に入り、盆略点前から柄杓のあつかいのお稽古に入りました。盆略点前の仕上げの日は、先生がひとりひとりにつきっきりでチェックしてくださり、その上で丁寧にご指導くださいました。

 特に印象に残っているのは、茶筅通しやお茶を点てた後、お茶碗から手を離す時の左手の仕草についてでした。お茶碗を抑えていた左手を、パッと離してしまうのではなく、最後までお茶碗の横に添えて、茶筅と共にゆっくりとお茶碗から離すと、見違えるほど優雅な所作になりました。剣道には打突の後にも相手の方へ気を残す、「残心」というものがありますが、それに通じるものを感じ、大変感動いたしました。

 他にも、帛紗を腰から取る所作についてもご指導いただきました。帛紗を腰から取るときは、サッと取るのではなく、指で帛紗を折ってから摘むようにすると美しく見え、皆が同じことをするお点前では、このような一つ一つの所作の違いで優美さが変わってくるのだということでした。「一度悪い癖がついてしまうと、無意識にしてしまうようになるので、最初に習う先生の指導が、その人の茶道人生を決める節がある、だからうるさい事を言うようだけれども気をつけてやっていきましょうね」と柔らかく微笑まれる優しい先生のご指導が心に沁みました。

 さて、そのようにして盆略点前を卒業して柄杓を使って平点前のお稽古が始まりました。ややこしい!というのが第一印象で、果たしてできるようになるのだろうかと思いましたが、どこかで「大丈夫、きっとできるようになる!」という確信があります。というのも、「こんなの無理なのでは……」と思っていた帛紗捌きや盆略点前も、だんだんとできるようになってきているのです。先生も皆それぞれの良いところを見つけてはこまめに褒めてくださいます。それがとても励みになり、また、他の方が褒められているポイントを拝見することもお勉強になり、楽しみの一つとなっています。

 楽しみの一つといえば、やっぱりお菓子!毎回、季節を感じられる主菓子と先生方の思いやりが感じられるお干菓子に感動しています。お菓子にも雅な名前(銘)があることの感動を先生に伝えると、お茶碗やお茶杓にも、名刀さながら名前があるのだと教えてくださり、何気ない会話の中にも学びがたくさんあります。今月は端午の節句だったこともあり、使っていたお茶碗の模様(三角マークが積み重なったような模様)は鱗を意味し、鯉のぼりのあがる5月や、巳年の時など、鱗にまつわる時に使われるのだとも教わりました。

 また、トンボは前にしか進まないので「勝ち虫」と呼ばれ、武将に好まれていたことから、トンボ柄のお茶碗を五月に使うこともあるのだそうです。日本に長年住んでいても、このような知識に触れる機会がなかなかないので興味深いです。また、先人たちはそのように様々な物に意味をもたせて生活を楽しみ、客人をもてなし、和を尊んでこられたのだと思いをはせることができました。

 床の間のお軸は青山緑水。爽やかな初夏の風が吹くような湊川神社のお茶室でのお稽古は毎回とても楽しく、次のお稽古も楽しみです。


レッスン風景1

 本日は初回のお稽古でした。  お茶室への入り方、お辞儀の仕方、帛紗捌き、お棗と茶杓の清め方を中心に、お茶の頂き方も学びました。
 特に心に残ったのは、自分の前にお扇子を置いてお辞儀することについてでした。お扇子は自分と相手との結界を意味し、それは相手を敬う気持ちを表したものだということでした。説明を聞かなければ、なぜお扇子が要るのかわからぬまま、ひとつの所作としておぼえていたことでしょうけれども、そのお話があったことで、お作法となっている所作のひとつひとつには、そのような美しい意味があるのだと知ることができました。相手への尊敬を言葉にするのではなく、所作となっている茶道の洗練と奥深さを感じました。

 先生方も同期生も素敵な方ばかりで、和気藹々とお稽古ができたのも良かったです。同期生のお1人が、「皆が初心者だから安心して学ぶことができる」とおっしゃっていたのを聞いて、なるほどと感じました。もしも周りが先輩ばかりだったとしたら、わからないことばかりで訊きたいことがあったとしても、気を遣ってしまって、なかなか質問できず、わからないまま過ごしてしまっていたことでしょう。自分だけがわからなかったり、できなかったりする状態に焦りやプレッシャーを感じて、お茶を楽しむどころではなかったに違いありません。というのも、帛紗の扱い方を教わった時に、私は何がどうなっているのかがさっぱりわからず困惑しました。しかし、他の皆も同じようだったので、ひとり焦ることなく、ゆっくりと安心した心持ちでお稽古に取り組めました。

 先生は優しく何度も何度も、根気強く教えてくださり、少しできるようになると、惜しみなく褒めてくださいました。それが嬉しくて、もっと上手になりたいと思いました。これから毎日練習して、次のお稽古の時には綺麗にできるようになっていたいと思えたのは、同じスタートラインに立っている仲間達と、優しく丁寧で根気強い先生方のおかげに他なりません。
 これからのお稽古がとても楽しみです。


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